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神戸地方裁判所 昭和51年(わ)612号 判決 1980年10月27日

主文

被告人樫木修二及び被告人松井鉄男は、いずれも無罪。

理由

本件公訴事実は、「被告人両名は共謀のうえ、昭和五一年六月三日午後二時すぎころから午後三時ころまでの間、神戸市生田区下山手通五丁目一番地兵庫県庁別館県民サロン室において、同和対策事業の一環として兵庫県が実施している同和地区中小企業振興資金の融資申込受付の職務に従事していた同県民生部同和局企画調整課企画調整係長内藤丈雄に対し「同和対策申告書を提出させることは差別ではないか。」などと口々に怒号しながら、所携のパンフレツトで数回同人の顔を突き、同人が着座していた椅子を持ち上げて揺さぶり、更に、右椅子から立ち上がろうとした同人に対し、口々に「どこへ行くんや」などと怒号しながら、同人の右前腕部をつかんで引張り同人を椅子もろとも転倒させるなどの暴行を加え、もつて同人の職務の執行を妨害するとともに、その際右暴行により同人に加療約一〇日間を要する右肘部打撲傷の傷害を負わせたものである。」というのである。

よつて、審究してみるのに、第二回、第三回各公判調書中の証人野田修の各供述部分、第一六回、第一七回各公判調書中の証人森田利夫の各供述部分、第一八回公判調書中の証人寺本秀夫の供述部分、第一九回公判調書中の証人小西弥一郎の供述部分、同和行政推進上の諸問題についてと題する書面、同和行政の推進についてと題する書面、同和対策の推進についてと題する書面、昭和五一年度兵庫県同和地区中小企業振興資金融資制度要綱、同取扱要領、同取扱細則を総合すると、兵庫県では、同和対策事業特別措置法に基づく同和対策事業の一環として、昭和四四年度から同和地区中小企業振興資金制度を設け、部落解放兵庫県連合会(昭和四八年度以降は部落解放同盟兵庫県連合会)に、融資対象者の審査、選定等の運用を実質的に委託する方法を採つていたところ、右の部落解放兵庫県連合会の当時は、それが兵庫県における単一の部落解放運動団体であり、兵庫県内の同和地区住民はすべてその組織に包含されていたが、部落解放同盟兵庫県連合会に組織替えされてからは、それが各同和地区毎に個人加入の方法で組織をつくるという方式であつたため、従来の同和地区住民のうちには右の組織に加入しない者も生じ、右融資制度もその運用を右の部落解放同盟兵庫県連合会に委ねていたのでは、その個人的な施策の実行に不公平な事態を招くということから、従来の部落解放同盟兵庫県連合会に対する右委託を廃止し、本来の行政の主体である兵庫県自身が直接右融資制度の運用に当る方針を樹立したこと、これに対し部落解放同盟兵庫県連合会では、右の如き運用方針の変更は、同和行政における兵庫県と部落解放運動団体との協力関係を断ち切るものであり、部落差別の実態を知らないものがその差別を失くするための行政を担当するのは適当でない、また融資希望者にその資格立証の方法として同和対策申告書を提出させることは、被差別部落民に行政庁に対して部落民宣言をすることを要求するものであるとして、兵庫県の右の如き同和地区中小企業振興資金融資制度の運用方法の変更について反対の態度をとつていたこと、しかし兵庫県では右の方針に従い、昭和五一年六月一日から、県庁別館県民サロン室及び県下七ケ所の労使センターにおいて、同年度の右資金の融資申込の受付事務を行つたことがそれぞれ認められる。

ところで、第四回、第五回、第六回、第七回各公判調書中の証人内藤丈雄の各供述部分(以下内藤証言という)及び被告人松井鉄男、被告人樫木修二の当公判廷における各供述によると、昭和五一年六月当時被告人松井鉄男は部落解放同盟兵庫県連合会事業部の兵庫県同和建設業協会の事務員、被告人樫木修二は同事業部の兵庫県同和食肉事業協同組合の事務員をしていたものであるが、被告人松井鉄男及び被告人樫木修二は、同年六月三日、県が右融資申込の受付事務を行つていた県庁別館県民サロン室に赴き、受付を担当していた県商工部金融課の職員に対し、右融資手続の取扱を変更した新制度上の疑問点につき説明を求めたが、要領を得なかつたため、責任ある県同和局の職員の説明を求めたところ、同日午後二時すぎころから県民生部同和局企画調整課企画調整係長内藤丈雄の説明をうけることとなつたこと、右内藤丈雄と被告人樫木修二はそれぞれメモ台付パイプ椅子を向い合せて腰をかけ、被告人松井鉄男は被告人樫木修二の右横に位置し、パイプ椅子に腰かけたりあるいは立つたりしていたこと、被告人両名は右内藤丈雄に対し、融資希望者に同和対策申告書を提出させる合理的な理由は何か、右によると、過去に自分もしくは家族が県や市町から同和対策事業を受けたことがある者はその旨の申告を、そうでない者は同和地区の関係市町、自治会長、関係団体支部長等の紹介を要することになつているが、部落外で居住している場合あるいは他府県の出身者の場合誰に証明してもらえばいいのか、同和対策申告書を提出させることは同和対策審議会答申、同和対策事業特別措置法の精神に背馳するのではないか等と質問するうち、右内藤丈雄が納得できる回答を示さないことにいら立ちを感じていたことが認められる。

そこで、本件公訴事実では、被告人松井鉄男は、所携のパンフレツトで数回右内藤丈雄の顔を突き、同人が着座していた椅子を持ち上げて揺さぶり、同人を椅子もろとも転倒させる等の暴行を加えて、同人の職務の執行を妨害するとともに、右暴行により、同人に加療約一〇日間を要する右肘部打撲傷を負わせたと主張されているので検討してみるのに、内藤証言、被告人両名の当公判廷における供述に、第八回、第九回、第一〇回、第一一回各公判調書中の証人森澤武行の各供述部分、第一一回、第一二回、第一三回各公判調書中の証人宮田繁生の各供述部分、第一三回、第一四回、第一五回各公判調書中の証人野口貞明の各供述部分、第二〇回公判調書中の証人畑井政雄、証人田中武の各供述部分、第二一回公判調書中の証人永岡隆仁の供述部分(以下それぞれ森澤証言、宮田証言、野口証言、畑井証言、田中証言、永岡証言という)を総合すると、右の如き公務に従事していた右内藤丈雄に対し(なお弁護人は右内藤丈雄の職務は権力的作用ではないから公務執行妨害罪にいう公務には該当しないと主張するが、右の如く限定的に解すべきものとは思料されず、非権力的な作用であつても公務に該当するものと解される。)、被告人松井鉄男が当日右県民サロンで配布された「同和地区中小企業振興資金融資制度のおしらせ」と題するパンフレツトを丸めて、右内藤丈雄の喉元に二、三回突きつけ、その先端を同人の顎に触れさせたこと、同人が着座していたメモ台付パイプ椅子のメモ台部分を持つて上下に二回位揺さぶつたこと、同日午後三時ころに至り、右内藤丈雄は同室内全体が騒然としており、被告人両名も興奮していたことから、当日の受付業務は中止すべきだと考え、同室内にいた県商工部金融課長野田修に右の趣旨を進言すべく、被告人両名に「これ以上君らと話しても同じや」と言つて、右椅子のメモ台部分に両手を突き立ちあがりかけたところ、被告人樫木修二は「どこへ行くねん。坐らんかい」と言いつつ、右内藤丈雄を引きとめるためメモ台上の同人の右手首を握つたことが、それぞれ認められる。

そして、被告人松井鉄男が丸めたパンフレツトを右内藤丈雄の喉元に二、三回つきつけ、その先端を内藤のあごに触れさせたという右認定の点について、右に関する公訴事実は前記のとおり、丸めたパンフレツトで数回右内藤丈雄の顔を突いたというものであるが、内藤証言によれば、右内藤丈雄はパンフレツトの先が顎に当つた点については明確に供述しているのであるが、その程度、態様につき、「突く行為は間違いないが、痛いというものではなかつた」旨、また同人の警察官の取調べに対する供述調書の記載では「突つかれた」との表現になつているが、これは「突いた」と表現すればあまりにも針小棒大な表現になるので取調警察官に対し「突つかれた、と感じる」とはつきり申し述べたのである旨の供述をしており、また目撃者である森澤武行は森澤証言によると、被告人松井鉄男はパンフレツトを丸めて右内藤丈雄の喉元に「つきつけた」と供述し、また目撃者野口貞明は野口証言によれば、パンフレツトを丸めたものを「内藤の前につきだしたり、あごのへんまで突き出したりというようなことをやつていた。」と述べていて、両名ともパンフレツトは右内藤丈雄の顔面に当たつていない趣旨と解される表現をしている。また被告人両名は当公判廷における各供述では被告人松井鉄男がパンフレツトを丸めて右内藤丈雄の着座していた椅子のメモ台を叩いたことは認めているが、それで右内藤丈雄の顔を突いたことはない旨捜査、公判段階を通じ一貫して供述している。

ところで右内藤丈雄は前記証言によれば、その程度、態様につき「まあ紙のことでございますので、ちよつと突かれまして、ちようどグニヤツと曲がる程度でした」との供述もしているが、押収してある同和地区中小企業振興資金融資制度のおしらせと題するパンフレツト一部(昭和五二年押第六七号の一)の材質、形状に照らせば右パンフレツトは上質の四枚折りのものであり、これを丸めて顔面を突いた場合、右内藤丈雄の供述するが如く「グニヤツと曲がる」ことは机を叩いた後にしても容易にはありえないと認められ、右内藤丈雄の証言自体若干の想像の混入した不正確な点がある

ように見受けられる。右の点を考慮したうえで、内藤証言、森澤証言、野口証言、被告人両名の当公判廷における供述及び関係各証拠を総合勘案すると、被告人松井鉄男は丸めたパンフレツトで意図的に右内藤丈雄の顎を突いたものでなく、右内藤丈雄の喉元に突きつけたにすぎないものであり、結果的にそのパンフレツトが内藤の顎に触れたに過ぎないものと認定するのが相当である。

次に、被告人松井鉄男が右内藤丈雄が着座していたメモ台付パイプ椅子のメモ台部分を持つて上下に二回くらい揺さぶつたという前記認定事実について、被告人両名及び弁護人は右事実がなかつた旨主張するが、内藤証言、森澤証言、野口証言及び宮田証言によれば、右内藤丈雄、右森澤武行、右野口貞明はいずれも右事実を目撃した旨供述していて、特にその信用性を疑うべき事情はない。

しかしながらその態様、程度につき付言すれば、内藤証言によれば、右内藤丈雄は右椅子を一五ないし二〇センチメートルくらい持ちあげられ、突き落とされた旨供述するが、右供述が真実であれば被告人松井鉄男の右行為は危険なもので、突き落とされた際右内藤丈雄は大きな物理的シヨツクを受けたはずであるところ、森澤証言によれば、右森澤武行は「持ちあげるといつてもそう大きくグツと持ちあげるわけじやないですから、心持ちといいますか、少しくつとあげたんです」と供述し、また右野口貞明も野口証言によれば、被告人両名のいずれかが右内藤丈雄が着座している椅子のメモ台をガチヤガチヤと上下に動かすような動作をしたことがあつたが、このことで右内藤丈雄が影響を何か受けるということはなく、身体を前後に揺らしておつたこともない旨供述していて、これらの証言に照らせば、右内藤丈雄の前記供述はいささか誇大に過ぎる不正確な点があるものと思料され、被告人松井鉄男が右内藤丈雄の着座していた椅子を持ちあげた高さ、下へ落とすのに加えた力の程度を数量的には断定できないものの、右内藤丈雄の前記供述よりはその程度態様はかなり軽微であつて、特に右行為により右内藤丈雄に肉体的心理的苦痛を与える程のものではなかつたと認められる。

なお、被告人樫木修二がメモ台付パイプ椅子から立ちあがりかけた右内藤丈雄の右手首を握つたという右認定の点について、右に関する公訴事実は前記のとおり右内藤丈雄の右手首を引つ張つて同人を右椅子もろとも転倒させたというものであるので検討してみるのに、森澤証言によると、同人は右内藤丈雄の転倒状況の目撃者であるが、被告人樫木修二が右内藤丈雄の右手首を握り、それと同時に同人が倒れた、同人が倒れたから被告人樫木修二が右内藤丈雄の右腕を引つ張つたのだろうと思うが、引つ張つた事実は見ていない旨供述しているのであるが、右はその内容に照らし十分信用するに足りるものであり、また森澤証言によれば、同人は右内藤丈雄が転倒した際、同人のすぐ後方約五〇センチメートルの位置に立つていたことが認められ、本件の各目撃証人の中でも最も近距離から被告人両名と右内藤丈雄とのやり取りを現認できる立場にあつたものであるから、右証言はその重要性の大きいものである。

次に野口証言によると、同人は被告人樫木修二が右内藤丈雄の腕を引つ張つたのを見た旨供述しているが、その内容を仔細に検討すれば、右内藤丈雄が引つ張られた腕は左右何れであるかを記憶していないのみならず、被告人樫木修二が何れの手で引つ張つたかにつき、検察官の主尋問においてはどちらの手で引つ張つたかははつきり目撃していないと供述していたのに、弁護人の反対尋問に対し両手で引つ張つた旨供述を変え、裁判官の補充質問に対しても右供述を維持しながら、その直後検察官に確認されるや「片手だつたかもしれない」と供述を再転させるなど、その供述内容はあいまいで動揺が激しく、一方、同人は右内藤丈雄の右後方約一メートルの位置で椅子に腰かけていたもので、右内藤丈雄の体の陰になつて、右内藤丈雄が着座していた椅子のメモ台上、あるいは被告人両名の体のうち胸から下の部分は見えにくかつた旨の供述をしていることを考慮すれば、未だその供述内容は信用するに足りないものと思料される。

なお、内藤証言によると、同人は被告人樫木修二から右腕を引つ張られて転倒した旨明確に供述しているのであるが、内藤証言には既に指摘したように若干不正確な表現のあることが散見され、その証明力については慎重な吟味が必要であると考えられる。

一方畑井証言、田中証言、永岡証言によれば、右三名はいずれも被告人樫木修二は右内藤丈雄の腕を引つ張つておらず、同人は自らバランスを失して倒れたものである旨証言しており、また被告人両名も捜査段階及び当公判廷において右と同旨の供述をしている。更に内藤証言、森澤証言及び被告人松井鉄男の当公判廷における供述によると、右内藤丈雄の転倒直後右森澤及び前記野田修が被告人樫木修二に向つて「お前がやつたろう」とつめ寄つたのに対し、被告人松井鉄男が激怒して「へたな挑発をかけるな、やつたろか」と叫んでいた事実が認められ、この事実から、被告人松井鉄男は当時右森澤及び右野田の右言動が極めて不当であると考えた事実が推認されるので、これらの諸事情を総合勘案すれば、弁護人、被告人ら主張の如く被告人樫木修二が右内藤丈雄の腕に全ぐ触れなかつたとまでは言えないが、内藤証言にも若干不正確な点があることを加味して考察すると、結局被告人樫木修二は、立ちあがろうとした右内藤丈雄を引きとめるためメモ台上に置かれていた同人の右腕を握つたことは認められるものの、これを引張つたと認めるに足りるものは存しないというべきである。

なお、弁護人は楠井健作成の鑑定書の鑑定結果を援用して、右内藤丈雄の転倒は同人が自らバランスを崩したことが原因であるから被告人樫木修二が右内藤丈雄の腕を引つ張つた事実はない旨主張するので考察してみるのに、同鑑定書の鑑定事項は「メモ台付パイプ椅子に座つていた人間が立ち上ろうとしたとき、体は右前方に、椅子は体から離れてその右側に倒れた。この転倒の原因として次のA・B二つの主張があるが、いずれがより合理的か。A、椅子から立ち上ろうとしている人間の右手首を、他人が前方へ不意に引つ張つたため。B、椅子から立ち上ろうとしている人間が同時に右後方を見ようとしたとき、体のバランスを失して、みずから倒れた。」というものであつて、転倒した際内藤の体と椅子とが離れていたことを前提としているところ、なるほど被告人両名は当公判廷において右と同趣旨の供述をなし、田中証言、永岡証言にも同趣旨の供述があるが、一方内藤証言、森澤証言、野口証言によれば、右内藤丈雄は椅子にはさまれたまま倒れたとの供述もあつて、必ずしも右内藤丈雄の体と椅子が離れていたとの前提事実を認定し難いうえ、仮に右前提事実が認められるとしても、右鑑定は他人が座者の手を引いた場合の転倒実験において、引く人間が右手を用い真つすぐ前方に引くことを所与の前提とし、この場合右前提事実の如き状況の転倒は生じないと結論づけているが、被告人樫木修二が右内藤丈雄の腕を引つ張つたと仮定した場合、右手でもつて真つすぐ前方に引つ張つたと限定する理由は何もなく、左手を用いた場合、あるいは右前方もしくは左前方へ引いた可能性は充分考えられるのであつて、これらの可能性を捨象した右鑑定結果は、検察官が指摘するようなそれ以外の鑑定方法についての問題点につき考慮するまでもなく、右内藤丈雄の転倒原因及び被告人樫木修二が右内藤丈雄の右腕を引つ張つた事実の有無についての判断に資するところはないものというべきである。

次に、被告人樫木が右内藤丈雄の右腕を握つた事実と同人の転倒との関係について付言する。押収されているメモ台付パイプ椅子一台(昭和五二年押第六七号の八)、内藤証言、森澤証言及び前記鑑定書によれば、右内藤丈雄は両足が若干不自由な身体障害者であること、本件メモ台付パイプ椅子は折畳みができ簡単に移動収納ができるメモ用机板つきの講習会用椅子として製作されたものであるが、その安定性に欠陥があること、即ち椅子本体とメモ台との間隔が狭く、座者が立ちあがるには極めて窮屈で、体を左前方に移動しつつ立ち上がらないかぎり、椅子が体とともに浮き上がるうえ、メモ台が右前方に偏して取付けられ、メモ台部分か椅子の前脚より前方にあるため、立ちあがる際にメモ台部分に手を突いて体重をかければ、それは重心の不安定を招き、前方へ転倒する危険が生ずることが認められる。特に立ち上がろうとする者が下肢障害者である場合、通常者よりも手にかける力は相対的に重くなると考えられるうえ、内藤証言

及び被告人両名の当公判廷における供述によれば、被告人らとの議論により右内藤丈雄自身もかなり興奮した状態にあつたことが推認できることを考慮すれば同人が自らバランスを崩して転倒した可能性も十分考えることができる。してみると、メモ台上に両手を置いて立ちあがろうとする座者の右手首を握る行為は、それだけでは座者の転倒を招く原因とはなりえないものであるし、また被告人樫木修二の右行為が、他の諸条件と相まつてであつても、ともかくも右内藤丈雄の転倒の一条件となつているとの証明はないものといわざるをえない。結局被告人樫木修二の前記行為と右内藤丈雄の転倒及び右転倒によつて生じた公訴事実記載の傷害との間には因果関係の証明がないものというべきである。

ところで、被告人両名の前記認定の各所為につき、本件公訴にかかる公務執行妨害罪にいう暴行に該当すると評価すべき可罰的違法性の有無について検討してみるのに、前示認定の如く、被告人両名は同和地区中小企業振興資金の融資申込受付の場で、県職員に対し既に決定され、現に実施されている新しい融資申込手続について説明を求め、その回答が納得できないとして気持がいら立つまま、前記各所為に出たものであるが、兵庫県が昭和四四年に同和地区中小企業振興資金融資制度を発足させて以来続けてきた部落解放団体への委託という運用方式を変更したことについて、それ相当の理由があつたとしても右の運用方式が同和行政のあり方として最も望ましいと信じていた被告人両名にとつて、兵庫県の右の運用方法の変更は了解できないものとして、新手続のもとでの融資申込受付の場所において、県職員に対し新手続についての疑義を質し、その回答が納得できないため、その説明に当つていた右内藤丈雄に対し追及的な言辞を用いたことは、その心情として了解できるものもあり、それがとくに悪質なものであるとはいえない。そして右のことが発端となつて、前示認定の如き一連の所為に及んだものであるが、右は右内藤丈雄に対し、殊更にいやがらせをしようとの意図があつたものではなく、感情が昂じるまま、偶発的に、かつ散発的になされたものであり、しかもその態様は、前記認定のとおり、丸めたパンフレツトを右内藤丈雄の喉元につきつけ、その先端を内藤のあごに触れさせた、右内藤丈雄が着座する椅子を揺さぶつた、右内藤丈雄の右手首を握つたという軽微なものであつて、被告人両名が、本件公訴事実記載の如き暴行をなしたとの証明はなく、右の如き本件一連の事案の経過、その行為態様に徴すると、被告人両名の前記認定の各行為は、その動機、態様において犯情の軽いものであり、その法益侵害の程度も軽微であつて、未だ刑罰法規を適用して処罰の対象とするまでの可罰的違法性を備えていないものと解するのが相当であると認められるので、刑事訴訟法三三六条により被告人両名に対しいずれも無罪を言い渡すこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

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